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盆栽 コラム       

・盆栽文化論     ・茶道に見る芸術と哲     ・盆栽、水石の源流を探る
 
盆栽文化論

 日本には、非常に短い詩の形として、和歌・俳句というものがあります。
「春は花 夏はほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」
道元禅師(1200~1253)は、鎌倉時代初期の人で、中国から日本に初めて禅宗を伝え、日本の禅を確立した人です。この和歌は禅師のもので、当たり前の自然の風景を歌っています。
つまり、春は花が咲き、夏は木陰で鳥が鳴く、秋は月が非常に美しい、冬は雪が冷たく清らかである。この誰にでもわかる当たり前のことを当たり前として受け取るということ。そこに自然と人間が一体になった世界があるということです。つまり雪月花の世界に通じます。
同じように、感動の極地、至高の体験を詠んだ俳句で、江戸時代日本の最も偉大な俳人である松尾芭蕉が、松島という美しい小島を詠んだ俳句です。

「松島や ああ松島や 松島や」

自然と一致した最高の境地は、ここにあると評価しています。<br>
又、道元の和歌の影響下に作られているといわれます良寛の和歌に(再晩年)
「形見とて 何か残さん 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉」
自分が死んだ後も、自然はそのまま四季を繰り返している。その自然の中に自分の生涯も抱かれている。そのような絶対的な真理として、自然をとらえる。
それを残る人々は私から学んで欲しいといっている。
また、有名な歌に

「子供らと 手鞠つきつつ この里に遊ぶ春日に 暮れずともよし」

盆栽のある空間・床の間について

生命のある盆栽を飾るということは、その部屋に入った瞬間は大変に精神的な緊張を感じて、やがて緊張の限界を超えますと感動に変わり、裸になったような感じになります。そしてリラックスした気分が訪れ、部屋の壁が突き抜けて自然の中に気持ちが広がり一体感が生まれます。

そんな自分が、盆栽を見ていると同時に、盆栽が自分を見ている。つまり自然が一体化して宇宙が一つのものと感じられる。言い換えれば、盆栽と対話していることになります。
例えば、花ものを飾る時、一輪もしくは二、三輪のときに、それも未だ咲ききらない蕾の状態を飾ることによって、無限の可能性が秘められて尊いのです。

日本の美的姿勢と「渋み」について

それは物質的な貧しさの中にこそ真の心の豊かさを味わえる。
人間の力で作り出したものよりも、自然そのものの力が感じられるものを大切にすることです。
「遊び」には二面性があります(行動をする意味と行動を起こさない意味)。
なぜこうした二面性が生まれるのでしょうか。たとえば「わび・さび」というと非常に静かですが、実際には狂気に至るような激しさがあります。
わび茶の奥義を象徴している「枯れかじけて寒かれ」という言葉にしても本当に真冬の枯れ枝のようなものの中に、激しい生命を見ているのです。



茶道に見る芸術と哲学

 茶の発展は、唐・宋・明それぞれの社会的風潮を反映している。
芸にも芸術と同じように時代と流派があり、その発展の仕方は大きく三つの段階、つまり団茶・抹茶・煎茶の三段階に分けられます。我々現代人は最終段階である煎茶を常用しています。
このように茶の味わい方が時代によって異なるのはその味わい方が各時代の風潮をうまく表しているからです。
と言うのも我々は内なる思想を無意識のうちに、毎日の生活の中で表現しているからです。(盆栽も同様です)
世界各国の崇高な詩や哲学がその国の民族の理想を示すのと同様に、代々の毎日の生活における些細な出来事も、我々の民族の理想を示しています。
たとえば煮出す団茶、泡立てる抹茶、そして す煎茶はそれぞれ中国の唐・宋・明代の異なった情感を表しています。
ここで敢えて芸術分類に濫用されている専門用語を使うなら古典派の団茶・ロマン派の茶を抹茶・そして自然派の茶を煎茶と分類することができます。
天心によりますと茶はまず薬として実用的な飲料から始まり後に趣味・娯楽という美的な追求へと発展し、最終的には毎日の生活の指針となり、生活を高めるという宗教的哲学的なものへと変化したと言っています。
そして茶の歴史を大きく三つに分けました。
第一に中国の唐の時代に用いられた団茶
第二に宋の時代に発達した抹茶
第三に明の時代に流行した煎茶
天心は芸術や文化はそれぞれの時代の精神を如実に物語ると信じていました。これら三種類の茶も、絵画や彫刻・建築などと同じ様に、古典派・ロマン派・そして自然派と大別出来るのではないかと説いています。
日本では栄西禅師が宋へ南方禄を学びに行き、宋の時代の茶つまり抹茶を1192年の帰朝と共に日本へ紹介し、そのまま宋のお茶が受け継がれる事になりました。
ゆえに「茶の理想の極地は、日本の茶の湯において初めて見ることが出来る」と天心は言ったのです。さらに、その茶の湯とは、単に茶の理想的な飲み方だけを説くのではなく、いかに生きるべきかとその技を説く「宗教」であると天心は定義しています。
盆栽の心は茶の心。私は岡倉天心の「茶の本」をここで一部紹介したいと思います。
「茶の本」の扱うテーマが、茶道そのものの様々な決まりごとや諸作法ではなく、広く美学・哲学を主題としているという点からも、本章の「道教と禅」は第一章の「人間性の一碗」と同様に茶の哲学そのものを説いていることから、きわめて重要であるといえます。本章では、茶の哲学の柱であると天心が信じている道教と禅をわかりやすく説いています。道教と禅の理念を中心とした日本の文化を紹介したいという目的を意識的に持ちながら、これらの教えが西洋で紹介されていないことを彼が嘆いている点からも、特に道教の入門書として「茶の本」を著したという天心の意図がうかがえます。
ここでは天心は、仁と礼を倫理的行為の根本におき、道徳や社会的規律をやかましく説く儒教、独立心と個性、自由を鼓舞する道教、そして仏教というように道教・儒教・仏教の三教義をそれぞれ特徴づけました。
特に天心にとって道教は、儒教や仏教とは異なり、現世をありのままに受け入れ、わずらわしい毎日の中に美を見出そうとする点で重要であり、自由と個人主義を鼓舞する故に、芸術の発達を促したことからも特筆すべきであります。ゆえに、道教は芸術との関わりにおいて高く評価されるべきであると主張する。そして何よりも大切なのは道教が自然と共生することの重要性を我々に教えてくれることであります。天心にとって道教の教えが何であるかを、彼自身次のようにうまくまとめています。
―儒教は社会で規則を作ったのに対し、道教は独立心と個性を養うことを目的としました。自然に従うのではなく、自然と共に遊びながら、そこで素晴らしい思想が生まれるのです。つまり人間は自然の単なる一部にしか過ぎず、自然は人間を超越することができる偉大なものであるという認識です。我々がいかにつまらなく、周囲に束縛され、いかにばかげているかを見ればわかります。それに対し自然は自由で、そこには偉大な摂理があります。ですから道教徒は自然の中に身を寄せようとしたのです。(「東アジア美術における宗教」より)―このように道教の壮大な理念を具体的に日常の生活の中で実践しようとしたのが禅であり、そして、茶道はこの道教と禅が見事に結実した一つの「芸術」であり「生きる技」なのであります。

    
● 盆栽、水石の源流を探る

〜中国・西安で開催された2013年「唐苑的世界盆景対話」での筆者の講演と対話より〜

                                   日本盆栽作家協会幹事 須藤雨伯

日本盆栽と世界盆栽
(1)日本盆栽と世界盆栽との関係
アメリカ・フランス・ドイツ等の国から、大宮盆栽村(現在の盆栽町)の九霞園、村田久造氏の所へ、氏が英語が堪能ということもあり、多くの外国人が訪問され、盆栽が紹介されました。
特に当時の総理大臣、吉田茂氏とも交友があり、吉田氏に盆栽の指導をし、吉田氏の盆栽の管理責任者にもなりました。それゆえ政界他、多方面に人脈が広く、交友関係があり、盆栽文化の発展の礎を築いた方です。後に天皇陛下の盆栽も管理し、日本の盆栽を世界に知らしめる礎にもなりました。
その村田先生は、特にアメリカに盆栽を広める為、多くの努力をされ、日本の吉村香風園の子息である吉村氏をアメリカに盆栽の指導者として紹介しました。後に吉村氏はアメリカへ移住し、盆栽学校を作り、多くのアメリカ人に本格的盆栽を指導し、一生涯盆栽文化発展の為に尽くしました。
その生徒の中に、日系人の ジョン仲氏 がおり、彼は、アメリカ盆栽の礎を作り、アメリカ盆栽の生みの親と慕われ、アメリカ全土に多くの盆栽人を育てられ、世界に多くの盆栽指導者を送り出す原動力となりました。
私も、1970年に村田先生に依頼を受け、ジョン仲氏を訪ね、氏と共にアメリカ西部と東部をまわり、盆栽の講演をして回りました。後に木村正彦氏をアメリカへお連れし、1989年に盆栽のデモンストレーションを ジョン仲氏の通訳により企画し、多くの愛好家より好評を頂きました。

(2)日本盆栽が世界盆栽にどのような影響をもたらしたか
村田久造、吉村香風園、そして特に ジョン仲氏の働きにより、アメリカに B.C.I (世界盆栽協会)を設立し、多くの日本の盆栽作家がアメリカで研修、講演をしたりしてアメリカ盆栽を発展させて、さらに世界盆栽の発展につながったものと思います。
日本盆栽の美と芸術性、日本文化の素晴らしさが、多くの世界の人達の感動を呼んだもので、「日本盆栽美学、侘、寂の美学」は、究極のテーマとなっています。

(3)近年の中国盆栽と世界盆栽界の発展について
日本の盆栽が、世界の盆栽の主流であることは変わることはないでしょう。
しかし、中国盆景が、世界盆栽に与える影響は、絶大であり、世界の盆栽の未来を変える可能性が大きくなっています。特に中国盆景の歴史、思想、宗教、哲学、美学は、理論的で合理性に富み、世界の人達に理解されやすい。
中国盆景の発展は、日本盆栽や世界盆栽を刺激し、世界の盆栽の更なる発展の大きな原動力となり、盆栽文化のグローバル化を進め、更なる発展に大きく貢献することと思っています。


日本の盆栽と中国盆景について
日本の盆栽は、中国盆景を日本の土壌で養育し、成就させたもので、本質的には何も変わっていない。道教、儒教、仏教(禅)が日本盆栽の根本理念であり、中国盆景理念と相違することはない。中国神仙思想、不老長寿の概念は日本の禅の自然思想、そして 侘、寂の美学に共通するものを感じます。


水石美について
水石は、山水、景情を想い自然美を楽しむものです。そして山水とは単なる山や川でなく、俗界に対峙する精神的象徴であり、哲学・宗教・歴史・文学・美術等の文化的価値と不可分に結びついた存在であり、水石は本質的には、山水画や仮山(山水庭園・枯山水)と同じ目的で観賞されるもの、山水を表面化したものが山水画であり、立体化したものが仮山であり、盆上におさめてしまったものが盆石(水石)です。この場合の水石は、無声の山水詩と言われ、単なる自然の風景と異なり、非常に広い概念であり、自然の風景(真山水)のみならず胸中の山水、宗教的山水(神仙、道教、蓬莱山や仏教の須弥山など)等を含みます。
山水とは、中国で発達した極めて精神性の高い概念です。
孔子は「知者は水を楽しみ(論語)仁者は山を楽しむ」と言っている。
六朝時代の宗炳(375-443)は「山水に致りては質は有にして趣は霊なり」「山水は形を以て道を媚(び)にす」と言っている。
日本の道元禅師は「而近の山水は古仏の道現成なり」と言っている(正法眼蔵)従って、山水画・盆石・仮山(山水庭園)は山水の詩文と同様、高く深い精神生を宿す事が求められます。
「山水」は盆石(水石)の哲学であり存在根拠である。
山水画は、山水を写す芸術であるが、本来の狙いは「気」を移す事。それによって気の韻(ひびき)が生動する。至高霊妙な山水の気を画図に写すことができれば観者は山水の気と一体となり、山水の世界に逍遥する事ができる。これがいわゆる「神遊」です。
山水の気そのものが石であり「気の核」とも言われている。中国では名山、大川の石が珍重されるが、それはそれらが霊山の神妙な気をそのまま享けているからです。
これらの中国の神仙道教上の思想が日本の文化・思想となり、水石が成立してくる。盆栽も水石も日本人の自然愛の心を根底として伝統的に育まれた奥ゆかしい趣味である。
水石とは山水景石の略語。
水石の定義としては、「無理をしないで持てる程度の大きさの一個の自然的で自然景観の美を表現しているもの」となる。
大貫忠三氏は、石が景勝を表現し水がこれに変化を添える。この動と静、硬と和によってかもしだされる境地こそ水石美の極致と述べている。
頼山陽は、風物自然を擬し、また大自然と遊ぶ神韻渺望たる境地、または自ら羽化登仙するのであろうと書いている。
大自然の偉大なる力によって創成されたものであり、その自然の中に美を発見するということは、各個人の芸術意識を根底とする働きであり、その意識を高める為には石についての知識を深めること、美しいと感じるものを静かに眺めることによって美の正体をどこまでも追求する、というこの高度な観賞をすることが一条件となる。
石が鏡のように私の姿を写している、この深い境地の追求こそが愛石趣味の真髄と宮坂隆知氏は書いている。


幽玄について
「あわれ」の極まる所に開けてくる余情美を幽玄と呼ぶ。
幽玄こそ中世美意識の中心、理念をなすものと考えられる。幽玄美の構造を分析し、その様式の本領を探っていくと結局「わび」「さび」が究極であり、幽玄は表現されない余情であるという点で暗示性を立てしかもその暗示性は真実で的確で表現の効果として成り立つ。
その幽玄を成立させる構造を「ことば」と「姿」「心」との関連としている。
われと「物」との一体化に美が成立し、美的態度の完成があるとしているのである。従って宇宙における存在の原理としての無常の自覚が美の原理であり、美的態度の根本基底であるとしている。


中国盆景芸術家協会・徐民凱先生との対話より
※ 以下の1〜7の太字見出しは、筆者から徐民凱先生への質問内容で、それに対して徐先生が回答されています。
   徐民凱…中国盆景芸術大師。中国盆景芸術家協会所属。著書に「中国盆景始祖論」等多数あり。

1 中国において盆景が2000年以上継承されてきたのは何故なのか。
元々人間は、自然から生れたので美しい自然、山、水、花、木、草が好きである。しかも中国は、特に農耕文明だったので、米・食材など生き物を育成することを大切にした。これに対して草原の馬・狩猟文明に盆景文化は発生しなかった。
盆景で詩や絵の境地を表し、美しい詩、詞、歌で盆景を褒め、画で美しい盆景を描き、書道のラインと音楽のリズムを盆景ラインの表現に利用し、盆景芸術を通じ中国の主要文化思想を映し続けてきた。


2 中国盆景は何の為に存在したのか
主に、人間の精神需要と物質需要によるものであり、最も重要なのは精神上の追求である。
(1)物にて志を現す。
盆景芸術において、命のある花、草、木、山、石を素材にし、芸術創作を通じ、自然美を映しながら、作者の人生コンセプトを表し、作者の思想情感を入れ、情を物に入れる目的を遂げる。
(2)審美上の需要
短縮という方法を利用し、自然の美しい山水及び古樹名木を小盆に縮め、出かけなくても自然の山水の名勝の美を感じるようになる。
(3)物質上の意味
人間は、物質による快適さを求めながら、精神上の満足を求める。盆景は審美対象として、精神と物質による二つの特性を備えている。ニーズあれば市場はあり、次第に産業を成し経済の発展につながる。


3.中国2000年の歴史において、盆景のはたした役割(唐時代から清王朝まで)
(1)審美対象
盆景芸術は自然美の凝縮と再現であるので、まず自然美を求めて人文精神を現す審美対象である。
唐朝章懐太子墓の壁画に、主人が観賞するために仕女が手で盆景を奉っている壁画がある。
その画中、盆景は画面の注目位置に置かれ、百年老樹のイメージを現している。既に唐・宗時代に盆景芸術は重要な審美対象にされていたことを示している。
「馬駘画宝」の一つの絵「衛夫人」に、衛夫人が、筆を持って書道を作るところ以外に、側に様々な盆栽草花や盆景が置かれた。「案(机)」は中国伝統文化の中に、最も重要な家具であり、盆景を「案」の上に置いて観賞することは、盆景芸術が審美分野で重要な地位を占め、「案頭清供(机上の情趣付物)」とも呼ばれている

(2)情を物に入れる
昔も今も、詩人は似詩、詞、歌に自分の思想情感を入れ、書道家・画家は、書道や画にて心境を伝える。盆景人と盆景は、二つの異なる形式で存在する生命間において対話と交流を行い、常に作品を通して自分の人格コンセプトを表し、無言生命で作者の憧れる美しい境界を伝える。

(3)文化の媒介物
国も民族もそれぞれ独特な文化伝承を有し、芸術作品は、民族文化の媒介物であり、その文化特性も民族性を写す。
中国盆景芸術の文化内包に、儒家思想の「道徳倫理を重んじ、正を美にし、情を景に入れ、物にて志を現す」がある。

(4)養生の術
清代画家・呉友如の画の中に、盆景を堂中の情趣付物にするものが多かった。その中に題字と跋文は「養樹得養人法(樹養いから人養い方法を得る)」があり、盆景を植えることを養生の術にしていたことが見える。

以上のことは、中国の社会文化の中で、草花盆景を養うことを、身を修め人格を磨く一つの方法にしていることを示す。特に盆景芸術については、管理と創作において、異なる植物の生長規律をマスターし、栽培管理の知識を手に入れ、文化素質と芸術修養を備えることは必要となる。
盆景には、造形芸術と栽培技術が必要であり、制作管理において、必ず、体力労働と知力労働を伴い、自身を鍛えられるが、一番の見返りは、情感を呼び起こし、悠々として詩や画のような意境の中にいて、美を感じることである。
労働の後、自ら管理制作された盆景が盛んに生きて次第に理想的状態にのぼっているのを見ると、成功の喜びが心からわき上がる。
これは、最も良い心悟りの道であり、養生の術である。


4. 中国盆景の山水思想、特に道教中の「気」と「不老長寿」について
(1)「日は自然に親しむ」-中国盆景の山水思想
人と自然の関係を調和的に行うことは、ずっと中国文化、特に道教文化の重要なテーマだった。独自に天地の精神付き合うことは、浮世を越える生活方式となり、盆景芸術の求める至高境界である。自分の心、性情、思想情感を表す作品の例として、老子と庄子「天人合一」、「人・物一体化」等がある。
山水思想には道家隠逸思想も含む。昔から、中国の読書人階級は、静かな山林や素朴な田野を理想的な隠居場所にする。騒がしく混乱する都市生活に疲れたので、山水に親しむことは、読書人階級の思想基盤となり、次第に一つの社会風習となった。
中国に諺「小隠隠干野、大隠隠干市(野に隠居するのは未だ普通の隠者、町の中で隠居するのは大物である)」がある。近代物質文明が発展するに従い、読書人階級は社会に疲れるが、社会から隔絶して山野暮らしはしたくないので、市隠をするほかなくなる。市隠というのは、人格の独立を保ち、精神を越え、心霊浄土であり、物質と世情を受けながら、精神を満たせること。
盆景は、自然凝縮の芸術として、小さいところにおいて広いものを収納できる上、人間の心霊世界を収納できる為、世俗の悩みに疲れても盆景を利用して自分の心境をリラックスし「市隠」を遂げることができる。
現代中国で、盆景の制作とコレクションがブームになったのは、同「市隠」思想が大きく影響していて、盆景における企業家を沢山出現させ、多量の物質的財産を創り出している。

(2)「儚い所は微妙な境界」-道家文化での「気」は盆景に映される。
「集まると形を成し、散らばると気となる」は中国古人が「気」について理解してまとめたことである。
道家文化によると、人と自然万物はすべて天地精気に集められたもので、死後、再び「気」になり、時間と空間と共存する。
人間の「気」をある形式の作品(詩、書道、画などの芸術)により表すことの中でも、盆景芸術における表現が注目されている。盆景の「気」は作品の根、幹、枝などのラインのリズム運動において現れ、虚実呼応の間に動き、気は作品の勢に伴って現れ、作者の創作意識の境に着いてから戻る。
作品内在の気質と神韻の把握を重んじ、ライン内在の力と情勢との統一を求め、作品のリズムのはっきりすることを重視する。内在力が無くてラインにリズムがない盆景には全く「気」がない。
「気」と人間の精神文化思想を作品に合わせることは、作品に満ちあふれる「気韻」を成す。

(3)長寿の方は「神仙」である-「不老長寿」思想は盆景に映される。
道家文化における「不老長寿」は、老子の「道を修め寿を伸ばす」思想を源にしている。
この道を修めることにより「仙」になり、人間と自然の調和を極め、人・物一体化を通じて不老長寿という美しい願望を遂げるという思想に影響され、盆景人は、盆景の制作を通じ、自然の生命と親しみ、身を修めて人格を磨いて寿命を延ばす目的を遂げる事を希望し、かつ盆景の創作により、自分の人生コンセプトを入れ、盆景を毎日観賞することにおいて、精神生命と作品を一体にし、自分の精神生命も延ばしたいと思っている。


5.中国盆景において「意境」とは何か
「詩、情、画、意」は、中国盆景の「意境」である。
「意境」は、具体的さと有限を越える物象、心霊を時間と空間に入れる運動と感悟、心に憧れるが実に遂げられない場面である。
「意境」は、根拠がないまま発生しない。作品の外部形態と気勢により伝えられる。中国に諺「実が存在しないと、虚もなくなる」があり、「意境」は、具体的物象において一つの抽象的な雰囲気を悟り、実況の創作思想と目的を映し、「造化」と「心源」を合わせて一つの理想的な美しい境界を起こす。作品の境界は心源から出て、心源は、道悟りから出て、道悟りは勉強と修養から出る。盆景作品の「意境」も私たちの常に言う「詩や絵の境地」である。
「意境」は、盆景作品の霊魂であり、意境のない作品は霊魂のないボディーにすぎない。


6.「外師造化、中得心源(自然を先生に、心に感悟可能)-美は芸術創作と自然化育によるものである」
中華文化芸術において、昔から自然を尊び、「自然を先生に」を唱えている。「自然を先生に」は自然に学ぶことである。「天地に大美があり言わない」、一切の美しいものは自然から出て、「静かに自然の中にあり、人間に言わない。従って芸術創作には、まず自然に学び、自然規律を認識し、物の形成過程を了承し、更に人間の理性知識を広げることである。
盆景創作を学ぶ場合、自然を学ぶことは特に重要となり、異なる樹種はそれぞれ異なる本質と形態の特性を備え、同特性は地域により異なる姿になる。そこで盆景制作を学ぶ場合、まず自然を先生にし、内心の感悟を結び、自然現象と内在本質を全く徹底的に認識理解することが必要となる。
「心源」は、心底における精神と情感である。「心に感悟可能」というのは、物象と人間の内心世界を通じさせ、内心の情感と構築により、世俗を越えて人間の気持ちと気象を映し、人・物一体化という境界に至る。
物を利用し志を現し、物を情に入れ、天と人の調和的な境界を遂げ、「自然を源に、自然を越える」ことを目指す。
姿は「心源」を得て境地は高くなり、「心」は天より高いから。


7.自然を写すとは何か?(樹姿、樹相、樹霊)
盆景芸術は、植物や山石を媒介物にし、自然の美を凝縮再現し、情を物に入れる目的を遂げる。その為、まず、樹木を理性的に認識することが必要となる。自然樹木の姿を見て、その様々な姿の特性をマスターし、模写することで作者により自然物への表現能力を高める。そして精神と情感を合わせ、心を込めて樹木内在の気質と霊性を悟り、真実の樹木を把握する。自然物にも欠陥があり、必ず心による取り消し、低減、構築という過程を経て、形神上の再現を遂げる。「心」は、芸術創作の源であり根本である。


このように、中国盆景の何たるかを知ることは日本盆栽の根源を知ることであり、盆栽の心を理解する礎となり、盆栽作家の精神を高揚させる参考となると信じております。
以上

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